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自由にとって振付とはなにか?──細川麻実子ソロダンス『トランスミッション考察』(8月3日、喫茶茶会記)北里義之 photo by Yossi


 小空間における3密回避を徹底するため、定員15名の観客をさらに2回にふりわけ、細川麻実子のソロダンス『トランスミッション考察』がおこなわれた。公演中も出入口の扉は半開きのままにされ、扉近くでは、隣室の喫茶室でかけられるジャズの音が流れこんで薄く聞こえる状態。各回のパフォーマンス構成も、10分の換気休憩をはさんで20分のダンスを2回にわけておこなうという異例のスタイルをとった。冒頭MCに立った細川は、STAY HOME期間にネットにあふれかえった情報の洪水に対抗して、即興的にヴァリエーションされる動きをいくつか厳選するミニマルな構成をとったと語った。特に俳句のような日本の短詩芸術に影響されたメレディス・モンクの『ボルケーノ・ソング』(1997年)から楽曲が選ばれた後半のセットは、ダンサーが20代に踊った曲でありスタイルだったとのこと。これは細川にとって、単に昔を思い出したというにとどまらず、STAY HOMEの自宅待機中に予期せずやってきたダンス活動の総括という、ある種の原点回帰・原点確認を意味するものでもあったといえるだろう。

 身体が次々に変化していく細川のダンスでは、動きの単位をミニマルに選択することは、ローザスのようなミニマルダンスの形式のなかで踊ることを意味せず、ジャズのアドリブのように、踊る自由を最大化するために最小化される振付を意味している。つまり、即興演奏家のように、身ぶりを固有の即興語法として扱い、その積みあげによって独自の即興スタイルを築くのではなく、ジョン・ケージがそうしたように、音楽におけるコンポジションに相当する振付の位相で作品構成する作業が重要なものになっているということだ。この意味で、タイトルにある動力を機構に結びつける意味の「トランスミッション」は、換言すれば、動きを身体に結びつける振付作業のことであり、『トランスミッション考察』は、「自由にとって振付とはなにか?」とダンス的な翻訳が可能であることがわかる。モダンダンスの踊り手にとって、身体の解放はその究極にある目標といえるだろう。細川のダンスも、この自由をもっとも価値あるものとして踊られている。社会がどのような状態にあれ、解放の後になにがやってくるのかを想像する行為が、ダンスによって探究されているテーマのひとつといえるのではないだろうか。

 第一セットの冒頭は、左回りに円を描いて歩きながら、ひじをあげて水平に保った左手を、これから歩く方向に先に伸ばして空中でホバーリングさせ、歩く身体がそこまで追いつくという瞬間的な──瞬間の動きを単位にするという意味では「ミニマルな」──動きからスタートした。同じ動きを歩く身体を中心にしてみれば、出した手を引いているようにも見えるという騙し絵的な出だし。出される手の位置は少しずつ変化して、左右に伸ばす動きをはさんだり、右耳の横にあげたりしながら歩速が速まっていく。やがて足裏を見るように右足を跳ねあげ、右手でつかもうとするこれも瞬間のしぐさへと移行、円の動線を乱しながら立ち止まると、後頭部を通して右頬に置かれた左手が、頬のうえでモゾモゾと指を動かす。胸を突き出しながら両足をつま先立って伸びあがる一瞬の姿勢、これは『もののけ姫』のダイダラボッチや飛行する直前のトトロを連想させ、はてしない空の存在を感じさせるところから、とりわけ大きなイメージ転換をもたらした。細川のダンスが持っている気品を凝縮していたことでも忘れがたいポーズ。第一部の後半は、前屈や身体の上下動も入れながら、一貫して床にすわっての動きはなく、最後は、冒頭にあらわれた左手の動きを形だけくりかえすところで終幕となった。



 第二セットのダンスは、床や壁を意識して動きを構成していくものだった。膝立ちと転倒をくりかえしながら床を左右に横転する激しい動きと、一直線に仰臥する姿勢でお尻を床にすりつけ、身体をユラユラ揺らす静的な動きとを交互にサンドイッチしていくという、前後半を通してクライマックスとなるような圧巻の場面が展開した。あまり夢中になって回転したせいで、終演後、「目が回る」「気持ち悪い」を連発することになったのは、一晩に二度も公演を連続したためだったようだ。前半のセットとくらべると、個々の場面の独立性が高かったことが大きな違いになっていた。とりわけ3脚ならんだ壁際の腰高椅子を小道具に使った場面は、撮影スタッフが扉の陰から顔に白い小さな光をあてるなか、不自由な姿勢をあえて選択して動けない身体を見せるなど、動きと身体の関係を精密にトレースしてみせた本公演のなかで、演劇的な要素をとりいれたことでひときわ異質なものだった。細川のダンスに、環境への配慮はあっても小道具に頼る印象はあまりないが、これはこれで過去に探究されたものかもしれない。20歳の頃を掘り起こしたダンスということではあったが、個人的には、これまで見ることのなかった細川の一面を知る絶好の機会となった。



北里義之・タップダンス+コンタクトインプロヴィセーション:巌流島の闘い──米澤一平『In The Zone 2018』第21回 with 木原浩太
タップダンス+コンタクトインプロヴィセーション:巌流島の闘い──米澤一平『In The Zone 2018』第21回 with 木原浩太
北里義之 


タップダンスの米澤一平が主催するダンス異種格闘技シリーズ「In The Zone 2018」の第21回公演は、両人にとってこれが初共演となる木原浩太を迎えた。周知の通り木原は、加藤みや子ダンススペースに所属して幅広く活躍する切れ味抜群のダンサーである。今回の公演は、リハーサル等はせず、当日2時間ほど話しただけというかなり自由度の高い即興セッションだった。

冒頭の時間帯、タップシューズを床に擦りつけて “さわり” のような音を出していた米澤だったが、靴を履いても裸足になっても、ほとんどの場面で共演者から距離をとり、カタコトと小刻みに踏むタップがまるでよく吠える犬を散歩に連れて歩くようだったその足元をねらって、また接近してこないボディを標的にして、木原がくりかえしコンタクト・インプロヴィゼーションをしかけていくという展開が、ふたりのバトル的な関係を作っていく共演となった。米澤のタップシューズを裸足の足で踏んで、片足、両足と音を立てるのをとめたり、靴下を片方脱いでふたりで引きあいながら共演者をふりまわすなど、つないだ手を離さないように動いたり(手をはなさずに動く場面は後半にも登場した)、威嚇するように片足を高くあげてじっと米澤の胸元に突きつけたり、床上を横転・回転しながら身体をタップダンサーの足元に寄せていったりするなど、木原が共演者にくりかえし迫っていく様子は、試合を挑む柔道家さながらで、武道的なものに見えていた。もしかするとこれは、コンタクトインプロが合気道から影響を受けた部分があらわれたものかもしれない。



一方の米澤は、こうした攻めの姿勢と四つに組みあうのではなく、共演者から一定の距離を置きながら、強力なタップのリズムで応酬していくというダンスをしたが、これはタップの持つ性格ゆえといえるだろう。そこに生まれる身体的な関係は極めてシリアスなもので、息もつかせぬ緊迫感にあふれたものだった。短い休憩が入ったあとの後半で、米澤が木原を肩に担ぎあげて歩いたり、共演者の身体のうえにどっちが長く乗るかという床上のレスリングのような場面を作ったのは、コンタクトがひとつ階段を登ったという意味で、本公演のクライマックスを構成したと思う。

音楽なしで進行していく緊迫感のあるダンスバトル。そうした身体のシリアスさとは裏腹の関係で、観客席をなごませ笑いで包むものがあった。そのひとつは、レスリングのような床上のコンタクトのあと米澤がかけたジャズのバラード演奏である。驚いたことに、音楽が流れると同時に、みるみる変質していくのが見えるくらい、ふたりの動きにはっきりと変化があらわれたのである。これはたぶん、音がふたつの身体の間に緩衝帯を作り出し、米澤のタップと木原のダンスが、それぞれ音の流れに身体をまかせることでコンタクトなしでもひとつの場所にいられるようになったからと思われる。



もうひとつは、動きながらアドリブで交わされる日常的でもあればナンセンスでもあるような会話。たとえばそれは、4足1,000円の靴下のこと、タップシューズのこと、突然ふってわいた靴下盗難疑惑、最近2キロも太ってしまった理由などで、これらの話はダンスがシリアスなものであればあるほどそこから “ずらし” の効果を引き出しておかしみを与え、観客を笑いで包んでいくのだった。しゃべりながらのダンスというスタイルは、今日広くおこなわれているコンテの形式だが、言葉と身体の関係でいうと、ふたりのパフォーマンスは、大植真太郎/森山未來/平原慎太郎の「談ス」に近いもののように感じられた。おそらく黙々と(ある意味では地味に)進行していくコンタクトの演技と、まるで漫才のような丁々発止の語りのカップリングが共通しているからだろう。しかも言葉は朗読だとか演技的/演劇的な性格を帯びていないワーディング・パフォーマンスとしておこなわれ、その意味でも、この晩のセッションは昨今のコンテシーンでは珍しいくらい男臭いダンスバトルになった。(観劇日:2018年10月30日)



写真提供:m.yoshihisa
深夜の街で拾った男──川村美紀子『12星座にささぐ』第5回「おうし座」 北里義之

 今回の公演で5人目となる月の星座の人のとりあげられかたを見ていると、そこには他のダンサーたちに声をかけてクリエーションする規模の大きい作品にも一脈通じるような、川村なりのルールの存在が感じられる。思いつくまま箇条書きにしてみると。(1)現実の生活で川村となんらかの関係をもつ人、(2)無名のままに暮らす市井の人、(3)ある運命/宿命のもとにあることを感じさせる人、あるいは(4)話の内容に川村が運命/宿命を読むことができる人、(5)前公演が終わってから一ヶ月の間に決定される人選が偶然性をともなったものであること。などである。これらの条件から作品はドキュメンタリー性の高いものになる。語られることがけっしてダンサーの創作ではないこと、その人らしさをあらわすために声の録音が最適であることなどから、インタヴューのための会食がおこなわれ、公演のなかで取材音源がそのまま流されたりもするが、この2回ほどは、録音の使用許可が下りないなどの事情から、ダンサー自身が一人二役の演技をしながら踊る形になっている。


 戦争体験をもつ高齢の男性から聞き書きをおこなった第4回の「おひつじ座」では、前半にピアノ伴奏をともなう一人二役の演技をおこない、後半はその録音を流しながら踊るという分割がおこなわれ、<言葉/声>と<身体/ダンス>の間に応答関係を作っていくスタイルがとられた。今回もまた、本公演の2日前というギリギリのタイミングで、女王様のバイトをしている池袋のSMクラブから、深夜、自転車で帰宅途中に男性から声をかけられるという偶然から作品が作られている。出会ったのは社会学を専攻する20歳の男子早大生。一人二役でそのときの対話を進めていく声と踊る身体は、前回のように二分されることなく、一晩をいっしょに過ごす若い男女というスリリングな場面設定を、つかず離れずに踊っていくという形がとられた。



 いくつかのパターンはあるにしても、観客席の配置も公演ごとに変えられていて、今回は、楽屋の扉を中心に座布団を半円形にならべる形がとられた。二列になった観客席の後方は椅子席。公演の後半で、自宅の玄関扉に見立てるという大道具の役割を果たすことになる楽屋の扉から、向かって左側にオペレーターの米澤一平がつく音響/照明のテーブルが置かれ、右側には赤茶の布がかかったチェスト・テーブル、チェストのうえには暖色系の電気スタンドが置かれ、下手サイドの観客席に向かって夜を想わせる光を放っていた。米澤の操作で光量を増減させるこの照明を中心に展開する「おうし座」の物語は、数日前の出来事を現場レポートするように語るダンサーが、左右に一歩動くことで役柄を交代しつつ、タメ口で展開する対話を即興的に演じていく心理劇だった。ふたりの心の動きがつづられていくという点で、幅広い川村の表現スタイルのなかでも、特に文学が前面化した私小説的な作品といっていいだろう。出来事そのものは、すでに自分のブログで公表ずみ(「ボーイズビーアンビシャス」2018年5月21日)のものだ。しかし公演は、たんに筋を追うというのではなく、深夜の都会の怪しいムードを増幅させたような濃密さをかもし出していた。


 缶ビール2本を抱えたダンサーが、ふらっと楽屋口から登場するところから公演はスタートした。初回には濃厚なチーズが観客にふるまわれ、前回は赤ワインをちびりちびりなめるという設定で、これらはいずれも公演が日常性と地つづきであることを強調する演出になっている。缶ビールの一本をオペレーターに渡すと、働きはじめてから3ヶ月間不動の2位をキープしているという池袋のSMバーで見聞きした都市伝説ふうの怪談から話がはじまった。コロコロと人が変わっていく4重人格の女の子、その子が目撃したという足のない女の話、駐禁で撤去された自転車を引き取りにいって目撃した激怒するおじさん(怒鳴りあう巡査とのやりとりが録音で流された)、そしてきわめつきは殺されてベッドの下に押しこめられていた女の子が発見されずにその後もホテルに客が入っていたという事故物件の話。「怖っわっ!」というノリツッコミ。事故物件の話は、後半で見知らぬ女の家に泊るはめになった20歳の早大生の不安な心理状態を描写するところにも登場、いずれも少し調子の狂った都会の夜のムードを彩るものとなった。場面の合間にヒップホップの音楽が短く流れるのだが、ここでもダンサーは話を先に進めながら、がっつりと踊るというのではない、身体のリセットや場面転換になるような踊り/動きをした。そこだけダンスらしいダンス、ダンスの抽象性に走らないよう注意しながら、ときには説明的なパントマイムの動きも入れ、日常性の地表を離れることなく床面を滑っていくというような。半分ダンス、半分身ぶり的な動きの展開。ここでは、というより川村の最近作では、身体能力を極限まで酷使する初期作品とはまったく別のダンスが選択されている。




 若い大学生と知りあった経緯を語っていくダンサー。酔いつぶれた彼が起きたら、持ちものがすべてなくなっていて、友だちに連絡することもできず、しかたなく携帯電話を借りようと道ゆく人を呼びとめていたところ、SMクラブ帰りの川村が自転車をとめた。かけた電話に友だちが出ないので、絶望的になっている大学生を深夜営業の磯丸水産に誘って食事。「とりあえず黒ホッピーください」「それからお冷や」と声をかけたあと、尻のポケットからレシートらしき紙片を取り出し、注文を読みあげていく。蟹味噌、カマ焼き、酒蒸し、あら汁、そんなとこですかね、おねがいします。大学生と話すなかで、彼がおうし座であること、早稲田大学の社会学部2年生であることを知る。「自分こういうことをやりたいのかな」と自問する大学生。アルバイトでしている家庭教師の話題。注文したメニューの細目は、食事代が5,284円かかったことや、翌朝、大学生に電車賃500円をあげることにも通じていて、これらは公演を実話と感じさせるリアリティの細部であり、川村美紀子の文学センスを感じさせる部分である。結局、食事中にかかった電話で、所持品は全部友だちが持ち帰ってくれたことがわかり問題が解決する。食事がすむと深夜の3時、行くあてのない大学生を自宅にとまらせ、落ち着かない一晩を過ごす経緯を心理小説じたてで演じていく後半がスタートする。こちらは冒頭であげた人選ルールの「(3)ある運命/宿命のもとにあることを感じさせる人」と直結する。運命の訪れをひたすら待つM衝動の川村と、みずから運命を切り開いていこうとするS衝動の川村が葛藤しながら、朝まで悶々とした状態で仮眠する床上のダンスは、演劇ではありえない(というか前代未聞の)スタイルのパフォーマンスだった。

 結局のところ、ふたりの間に運命的と呼べるような出来事はなにひとつ起こらず、翌日の昼ごろに起き出した大学生は、「自由。え、自由? どっちかっていうと不自由ですかね」という乾いた言葉を残して彼自身の日常に戻っていく。待っても待ってもやってこないゴドーをなおも待つつづける辛抱をつづけながら、希薄な日常性を坦々と描写していった公演。その一方で、語りのなかには、運命的なものを欠落させた日常を外側からまなざす視点も用意されていた。そこにはふたつのことがあらわれている。ひとつは、「中途半端な人がごちゃごちゃ船に乗っても、どうにもならない」「もういいかげんさ、黒板教育とか、なくしたほうがいいと思うんですよね」「ああいう、すりこまれた幸せを具現化しようという奴って、あぶないよ」などのセリフに体現される、無難に演じられる社会人というエージェントについてのもの。もうひとつは、大学生に「で、お姉さん、なにやってるんですか?」と聞かれ、「わたし、なにやってんだろーねッ!」と絶叫する場面に集約される川村自身の実存に関わる問題。前者と後者は密接に関連している。そこで不器用なほどストレートに語られているのは、ダンス業界も含んだ社会システムを相手どり、そこに半分は乗りつつ、半分は確実にはずしながら、ダンスだけに限られない、歌ったり書いたりという生身の身体を通してやってくるものから、他者の欲望のありかや社会の底に蠢くものを知ろうとする川村美紀子の生き方である。いま見せられている現実がまさかこれだけのものじゃないだろうという疑いが、彼女のダンスやクリエーションの基底に横たわっている。


(観劇日:2018年5月22日)



戦争の顔と出会う──川村美紀子『12星座にささぐ』第4回「おひつじ座」北里義之



 過去2回の公演では、その月に生まれた知り合いの男女に白羽の矢を立て、インタヴュー形式で収録した録音を流しながら踊るスタイルが取られてきた。今回もまた、昨年、映画の仕事で自動車の免許を取らなくてはいけなくなったとき、自動車を貸してくれた高齢の男性に白羽の矢を立てた生活密着型のダンスとなった。大きく違ったのは、今回は、録音した音源の使用許可が得られなかったことから、聞き書きのスタイルで書き起こした会話を台本に仕立て、即席でピアノ伴奏しながら、対話形式の一人芝居を演じたことである。公演の前半におこなわれた一人芝居はライヴで録音され、公演の後半に、いまとったばかりの録音を流しながらダンスするというのが全体の流れ。これまでにも触れてきた作品だが、実際に書かれた手紙の再構成という、ここでの「聞き書き」にあたる方法を通して祖母の世代の感情生活を扱いながら、それにダンスで応答していった作品に『或る女』(2017年10月、日暮里d-倉庫)がある。これらの作品からうかがえるのは、川村の関心のなかに、実生活に密着するクリエーションを通して、庶民感情の生活史とでもいうべきものを浮き彫りにしていくフィールドワークの側面があるということだ。おそらくそれは、彼女のダンスをコンテンポラリーにしているもの、すなわち、自己表現としてのダンスを踏み越えていく独自の方法のひとつになっていると思われる。



 ピアノ演奏のためのコードなどがいっさい記されていない譜面台の会話シートには、おひつじ座の男の話が抜き書きされた合間に、合いの手を入れるように短い質問をする川村のセリフも書きこまれており、一人芝居を演じるダンサーは、自分のセリフを言うときは、譜面台から顔をあげて背後をふりかえり、遠くにボールを投げるように発声した。はるか遠くにいるらしき男、背後を振り返る川村の身ぶり、これらは遠い過去から思いがけなくやってきた記憶という象徴的な意味を生んでいた。どこで身につけたものか、ピアノ演奏も一人芝居の演技も、それなりの技術でパフォーマンスされていくのが驚きだった。おひつじ座の男の話。若いころ、農業がさかんだった故郷で農業技士になろうと勉強したが、戦時中のその時期、最初は「勝ちいくさ」だった雲行きがだんだん怪しくなってくると国民総動員がかけられ、成績優秀だった自分もまた、短期間で通信兵の教育を受けさせられることになり、15歳で南方に従軍することになった。事実だけを坦々と述べていく男の話の最後に、川村がダンス公演でアジアに行ったときに経験したことを話す。「私も南にいってね、むかし日本人が島にいって、なにか、なにか、なにか、なにか…」言い淀む川村の言葉を男が引き取る。「……あったでしょ」そこでピアノ演奏が途切れると、「もしかしたら友だちだったかもしれないなあ」という最後の言葉が語られる。はるかに年齢が離れているはずのふたりの時間がスパークして歴史が円環する瞬間である。戦争からずいぶんの時間がたったいまでも記憶が伝承されているということ。弾き語りが終わり、録音再生の準備をした川村はピアノまで戻り、楽器のうえに載せた白ワインのグラスを手にとって喉を潤した。



 市井に生きるごく普通の人々の人生。戦争体験を語るおひつじ座の男の登場で、これまで関係性の軸をなしていた男女関係は背景に退き、聞き書きという新たな要素を加えて、私小説的なリアリズムを追究する身辺雑記的テーマの周辺に、広大な庶民史の領野が広がっていることを浮き彫りにした。そういえば、トヨタをダブル受賞することになった出世作『インナーマミー』(2014年)でも、振付にダイレクトな反映はなかったものの、パーソナルな家族関係に触れると同時に、メンバーとの会話を通して、家族史へと踏み出していく出入口が開かれていたことを思い出す。ここには在野の文化人類学者・川村美紀子が潜んでいるだろう。「おひつじ座」の公演は、乗り越えがたい世代の相違を前にした川村が、他者の身体に触れること(あるいは「憑依」すること)と、ダンスによる彼女なりの応答が両方示される『或る女』とおなじ構造をもっている。ホリゾントの縦格子を使って動いたり、左足を右足の甲に乗せたり、パントマイム的な動きを見せたり、背中向きになって身体のあちらこちらに手をあてたり、観客席最前列にならぶ空席のうえに立ったり、床のうえを横転して大きく動いたり、とりわけピアノで出されたモールス信号ふうの即物的リズムにシンクロさせて頭を左右に振るなど、ダンスの動きは多彩だったが、戦争体験に対して若い世代の主張を返すにはいささか相手が大きすぎたということなのだろう、今回の公演では、過去からやってきた声に身体的感応を示すにとどまったと思う。(観劇日:2018年4月18日)


魚と美脚──川村美紀子『12星座にささぐ』第3回「うお座」 北里義之



 先月の「みずがめ座」公演で、もっとも印象深く、もしかするとこれがダンサーの本質かもしれないと思ったのは、「あるマックスから対極のマックスへと振り切れながら動き、反転をくりかえしていく」という、川村のダンスのヤヌス的な二面性だった。このふたつの極点を、試みに「M衝動」と「S衝動」と呼んだのは、それが彼女の身体のフィジカルな側面からきているように感じられたからなのだが、第3回の「うお座」を観てみると、この二極は、作品のなかでもう少し幅を持ったものとしてあらわれてくるようである。たとえていうなら、ギリシア神話や星座のような敬虔かつ神聖な領域に駆けのぼったかと思うと、愛欲にまみれた地上的な糞溜めのなかに宙天からまっさかさまに墜落するというような。相反する象徴性を高速度で往来するこの運動性は、かつてよく使われた言葉でいえば、「ヘルメス的」性格のものといえる。あるいはもっとシンプルに、川村のダンスや作品が持つ演劇的側面と考えるとわかりやすい。

 Wikipediaからの引用。「【ヘルメース】神々の伝令使、とりわけゼウスの使いであり、旅人、商人などの守護神である。能弁、境界、体育技能、発明、策略、夢と眠りの神、死出の旅路の案内者などとも言われ、多面的な性格を持つ神である。その聖鳥は朱鷺および雄鶏。幸運と富を司り、狡知に富み詐術に長けた計略の神、早足で駆ける者、牧畜、盗人、賭博、商人、交易、交通、道路、市場、競技、体育などの神であるとともに、雄弁と音楽の神であり、竪琴、笛、数、アルファベット、天文学、度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者とされた。プロメーテウスと並んでギリシア神話のトリックスター的存在であり、文化英雄としての面を有する。」歌を歌い小説を書く、川村の才能の多面性は誰もが承知のところ。思うに、これこそ彼女の登場に人々が期待した当のものだったのではないだろうか。そして、この期待は、どこかで彼女の本質にも触れていたように思う。

 前回の手法を踏襲して、「うお座」にも、実在する40代の魚座の女と、50代の魚座の男のカップルが登場する。ムーディーなR&Bなどの音楽をともなって、深夜の阿佐ヶ谷で彼らにおこなったインタヴューが録音で流れる。ダンサーの前口上。「今宵お送りするのは、運命に閉じこめられた魚座の男女のヨタ話である。」現実に存在する男女の人間関係という、おそらくもっとも地上的なものにダンサー自身が対話相手としてコミットしながら、「うお座」は、これまでになく集中的にダンスが踊られた回となった。太腿が丸出しになる茶色のワンピースのうえから首回りを広くとったTシャツを重ね着して、白いソックスをはくというセクシーな衣装に身を包み、背もたれのあるユーロピアンな木の椅子を使って踊るのというのが前半のダンスの基調となり、椅子のうえでエビ反りになると、下半身を丸出しにして最初に片足ずつを、次にそろえた両足をあげるなど、セクシーさをアピールするダンスが展開していった。

 かたや、公演の後半では、椅子を台座がわりにして床にぺったりと腰をおろし、ゴムバンドに何本もの毛糸を結びつけていくという工作作業がはじまった。結び終わると、ホリゾントにあたる縦格子の壁のうえに貼つけてあったニボシの袋を、思い切ったジャンプでむしり取り、そのうちの何本かをムシャムシャ齧りながら、毛糸の先に魚をくくりつけていった。できあがったニボシの冠をかぶったところは、荊冠をかぶせられ、ゴルゴダの丘へと引かれていくニボシの聖者のようだった。立ちあがりしな、椅子のうえに散らばったニボシに喰らいつく。上着を押し下げて脱ぎ、ワンピース姿になると、さらに袋のニボシを上向いた口に流しこむようにして頬張るダンサー。束になって口から突き出るニボシ。いくつかは床にボロボロとこぼれ落ち、生臭い魚のにおいがたちこめる。背後の格子壁に後頭部をつけた川村は、ずるずると力なく床にすわりこむ。ときおり楽器の音をはさみながら流れつづける深夜の会話。



 ダンスであることを大幅に逸脱し、予測のつかない、どう受け取っていいのかさえわからない強烈な身体の場面が連続していった「うお座」公演。頭をふり、肩をふりして、冠からさがったニボシをフラフラとさせた川村は、大きな動きで冠を一気にふり落とすと、下手コーナーに椅子を片づけ、ふたたび踊りはじめた。「うお座」公演では、高速度のアニメーションの動きは封じられたが、そのかわり、公演の前半では、高い棚からなにかを取るようなしぐさをしたり、両手に握ったものを空中に置いていく身ぶりをしたりというように、パントマイム的な動きが前面に出ていた。そもそも身体の各部をセパレートして訓練していくアニメーションには、伝統的にはいまでも文学的に踊られるパントマイムを、解像度の高い筋肉や骨の動きとともに、解剖学的なものに進化/深化させた意味合いがあり、一般的にアニメーションのダンサーは精度の高いパントマイムを踊ることができる。同様にして、文学的な「人形ぶり」は、解剖学的な「ロボットダンス」として進化/深化をとげている。川村のこのダンスも、アニメーションの可能性のひとつと評価できるのではないだろうか。不安定な姿勢を連続していった最後の場面は、魚座の男女とのインタヴュー終了とともにダンサーが床に仰向きに寝転び、そのまま終幕となった。ダンサーの太腿ばかりが、暗闇に白く浮き出た生きもののように生々しく印象づけられた「うお座」公演だったが、一見するとエロチシズムの表現のような場面も、ニボシで冠を作り食い散らかす不可解な場面も、ひとつの宗教的な隠喩を帯びていたように思われる。このあたりが聖俗の境を自由に往来するヘルメス川村の真骨頂といえるだろう。

 「うお座」のテーマを「魚」でイメージ連鎖していった今回の『12星座にささぐ』は、連鎖の一本を、ともに魚座の男女のヨタ話=実録秘話として地上的なものにつなぎとめるとともに、連鎖のもう一本を、中世のフランドル地方で活躍した画家ブリューゲルの寓意画『大きな魚は小さな魚を食う』(1557年、版画)に登場する人間の脚が生えた魚につなげたように思われる。奇怪なイメージにあふれたこのブリューゲルの代表作は、腹を割かれた大魚から流れ出ている中小魚に、「強い権力を持ったものは、弱いものを支配し、破壊することができる」とか、「権力を振り回しすぎると最後には立場が逆転する」という意味に解釈されているようだ。川村が魚とダンスをつなぐために選んだのは、おそらくこの寓意画の左上に描かれている怪物的造形──別の魚をくわえた魚が、白いソックスをはいた人間の脚で歩く姿──に間違いないだろう。超ミニのワンピースで両脚をむき出しにして踊ったことも、頭にニボシを吊り下げた冠をかぶったことも、口からはみ出すくらいにニボシの束をくわえたことも、つながらないものがつながるという生きものの怪物性を、底に秘めた身体的テーマとしてステージに登場させる道具立てだったように思われる。こんなふうに考えると、椅子のうえでエビ反りになるストリップショーふうの場面も、腹を裂かれて横たわる巨大な生きものの、始末に負えない存在のありように見えてくるから不思議である。太腿のエロチシズムに、魚の脚という怪物的なものを重ねてダブルミーニングを生み出すのが川村流といえるだろう。彼女の作品には、こうした謎が散りばめられている。



(観劇日:2018年3月29日)
<ダンス+音楽>の接近戦──細川麻実子×森重靖宗『愚(おろか)』 北里義之



<ダンス+音楽>の接近戦──細川麻実子×森重靖宗『愚(おろか)』
北里義之


 2008年から2016年にかけ、沼袋の「OrganJazz倶楽部」を会場にして、舞踏の岡佐和香とピアニストの清水一登がホスト役となり、各回、多彩なゲストを迎えるダンス+音楽「たのしいの◎んだふる」が隔月開催されていた。この<ダンス+音楽>シリーズのプログラム作成に関わっていた竹場元彦が主宰する「メノウ東京」の企画のうち、ダンサーの細川麻実子にスポットをあてた公演の3回目が、チェロの森重靖宗をゲストに迎え『愚(おろか)』のタイトルで開催された。今回はダンサーにとってこれまでになく狭いスペースとなる喫茶茶会記が選ばれた。踊り手の背後には縦格子の壁が迫り、立って数歩を歩くくらいという会場での集中したセッション。他の企画でこの場所をすでに経験していたせいか、細川のダンスは、場所の狭さをものともせず、後半になって初めて壁を使ったダンスを見せるなど、前半と後半を通して構成される全体の流れに配慮しつつ、小さな動きにもダンスのダイナミズムを失わない芯のある踊りを踊った。どんな条件下でも踊りが小さくならないのはさすがと思わせる。

 前後半で演奏にメリハリをつけるため、第一部でピアノを弾いた森重は、最高音をヒットしたり最低音をヒットしたり、鍵盤にそっと指の腹を乗せたり、両手を大きく開いて楽器に突っ伏したりと、ピアノを打楽器のように扱いながら、楽曲を演奏するというより、楽器の触れ方によって様々に生み出されてくるサウンドをインスタレーションして遊ぶような、パフォーマティヴな演奏を展開した。上手の壁に向かうアップライトの位置から、ダンサーに背中を向けて演奏することになるため、出だしはそれぞれのパフォーマンスを交代していく形でスタート、進行するに従ってダンスと演奏がしだいに重なっていくという、気配を感じながら共演するスタイルがとられた。森重の演奏スタイルは、まるで背中が独立して踊っているようにユニークなもので、ダンサーがつられて似たような動きをしてしまう興味深い場面も見られた。こうした条件が影響してであろう、セッションの第一部は、細川が受けにまわって踊るような印象があった。ダンサーが床に倒れこんで動かなくなったのを合図に暗転。前半が終了。

 楽器をチェロにかえての第二部は、かすかに奏でられる微音から、特殊奏法でノイズを発生させながら奏でられるメロディまで、さまざまな演奏法を駆使しながら、音楽を次第に大きなものにしていく森重ならではの世界が展開した。瞬間瞬間に全身没入しながら演奏するのが身上の森重だが、このセッションではずいぶん構成感のある演奏をしたと思う。かたや、後半になって一気に攻めに転じた細川は、くりかえされる演奏家への接近と、立ったポジションからのダンスはもとより、膝立ちや足を投げ出しての座位など多彩な展開をみせ、演奏家の前に身体を投げ出すようにして、高低さまざまな関係を取り結びながら共演者にアプローチした。とはいえ、激しい演奏に大きな動きで応ずる場面が、演奏のクライマックスを形成することがなかったのは、そんなふうに動きの対応が単調に、あるいは予定調和的になってきたと感じると、どちらかがかならず方向性を転じ、気合いをずらしていたためと思われる。第二部は、ダンサーが足を投げ出して床にすわると、前にあげた両手の指をふるわせはじめ、次第に肩先から上体へとふるえを拡大してから、右足を左もものうえにあげて両手で抱えたところで終演となった。それぞれのスタイルが組みあったセッションのなかで、後半で演奏に身をまかせて感情開放する踊りが見られたのは予想外だった。つねに冷静かつ理性的なダンサーである細川からもこうした感応力を引き出すのが、森重のチェロ演奏の深みと思う。

(観劇日:2018年3月25日)

振り切れる針のように   ──川村美紀子『12星座にささぐ』第2回「みずがめ座」2018/2/21(fri) 北里義之




 先月、ダンサーの誕生月からスタートしたマンスリー公演『12星座にささぐ』の初回は、山羊が天に昇って星座になったギリシャ神話のいきさつを映像入りで解説したり、ショパンのピアノ曲で踊ったりと盛沢山の内容で、予定された時間を大幅にオーバーする熱演となったが、今回は構成をシンプルにしたぶん、ダンスに集中して見ることができた回となった。水瓶座といえば、ファーストキスをした相手の星座という流れで、自衛隊入隊、逮捕、風俗店店員と波瀾万丈の生活を送っている(らしい)その男性を呼びだして近況をたずねる食事会を決行、その際に収録した会話の録音とビート音楽をサンドイッチにしながら、音楽が流れるたびにダンスを変え、次第に速度と切れのある展開をつけていくというのが基本の内容。

 会話が流れる場面でも、細かい、日常的な動きのような、ダンスになり切らない動きがつけられ、最後には、舞台を半円に囲んで置かれた最前列のざぶとん席をでんぐり返しでまわってスペースを拡大、低い姿勢でくりかえされる床への転倒で踊った。スイッチされる二種の音響の間では、何枚かのシートにメモ書きしたテクストを、周囲の空気を響かせるようなドスの利いた川村節で絶叫したり、デートに持参したお弁当を「じつはそれ私のママが作った唐揚げなんです」と、いまさらながらカミングアウトする場面も。最後には「あれから10年がたった私は、みずがめ座の男と恋に落ちないと決めた」というオチのセリフが用意されていた。星座が地上にたたき落とされてもみくちゃになった印象だが、今後のシリーズ公演では、逃れられない状態で彼女の運命に関わった人たちが次々に登場してくるのかもしれない。

 川村美紀子のダンスや作品をどう理解したらいいのか、実をいうと、私にはまだよくわかっていない。そもそもの話、他人の身体によって踊られるダンスを見ること自体、(複雑な要素がからみすぎていて)半分はわからないと考えておいたほうがいいように思うのだが、それにしてもわからない部分が多い。だから魅力的ともいえるのだろうが、個室に招かれたような至近距離からダンサーを見る月例公演『12星座』を通して、その謎に少しでもせまれたらと思う。「みずがめ座」公演では、ダンスに限られない動きのなかで、そこだけ浮き出したように際立つ身体がふたつ飛びこんできた。

 そのひとつは(1)オレンジ色の縁どりがある、丸くて低いスツール椅子に腰をおろし、怒鳴りつけるような、叫びそのものというべき声を爆発させておこなわれる朗読を越えた朗読、川村のダンスではおなじみの声のスタイルで公演をスタートさせた冒頭部分で、つま先立った両脚の指先が大きく開き、全開になったこと。彼女があの叫びを叫ぶとき、身体は戦闘体勢といってもいいマックスの状態に置かれることがわかる。もうひとつは(2)アニメーションの技法を含む高速度のダンスが踊られる中間部で、一瞬足さばきがスローモーションになったようにゆっくりとなること。これによって高速度の動きがより強調されるのだが、ダンスはそうした対比を踊っているのではないようで、むしろ高速度の動きのベースになる堅固な身体が、速度の隙間を縫って、たまたま動きの表面に浮き出てきてしまったというような印象だった。高速度の動きと、低速の、安定したバイオリズムが並走していく身体の構造は、音楽の即興演奏でもよく見られるものだ。ゆっくりとした身体のバイオリズムが感じられていることが、高速度の演奏やダンスを、正確なもの、必然性のあるものにしていくということなのであろう。

 より大枠の話で、今回もうひとつ気づくことのできた重要なポイントがある。それは川村の身体の指向が、あるマックスから対極のマックスへと振り切れながら動き、反転をくりかえしていくことをダンスにしているという点である。わかりやすさに配慮して、ふたつのマックスを「M衝動」と「S衝動」と仮称してみることにする。このことは身体の使い方はもちろん、作品作りする際のドラマツルギーにも大きく反映され、たとえば、ダンサーがほとんど動くことのなかった『まぼろしの夜明け』(2015年10月、三軒茶屋シアタートラム)東京公演などはその見やすい一例であるし、先頃おこなわれた「異端×異端」シリーズにおける『或る女』(2017年10月、日暮里d-倉庫)でも、古風な「或る女」=祖母の手紙と、若い「或る女」=川村自身からするその手紙へのありえなかった返信という設定で、ほとんど機械的に交代していくふたつのキャラクターをステージに登場させながら、ダンスにおいては反転する身体のありようをステージに乗せていた。今回作品に登場した「みずがめ座の男」に対しても、自身を無にするような恋愛と激しい拒絶とをスイッチさせ、M衝動とS衝動の往復を踊ったと思う。いずれの作品でも、川村固有の身体的特質に発するドラマツルギーといえるだろう。


(観劇日:2018年2月21日)


風を起こし、風となる──喜多尾浩代『そこふく風』特別編♯4 北里義之

 

 「身体事」(しんたいごと)という言葉を造語し、感覚に対してユニークなアプローチを切り開いている喜多尾浩代は、喫茶茶会記を会場にして、美術家や即興演奏家とセッションする「そこふく風」シリーズと、午前9時10分開演という、ダンス公演としては異例の時間帯にスタートするソロ「そこふく風」〜特別編〜を主宰している。茶会記のすべての扉と窓を開け放して初夏に一度だけ開催される「特別編」の第4回が、今年も5月20日(土)に開催された。現在は参加人数を10人に限定しておこなわれているが、なかには案内の詳細を確認せずに訪れる人もいて、今年は14人とやや多めの参加者が集まった。

 

 私が開演から少し遅れて到着したときには、踊りはじめとなる奥の小部屋の開かれた扉から、同室してなりゆきを見守る人の姿が見えた。かたや、縦格子のはまった壁に向けられた椅子がざっと置かれた中央の部屋は、薄暗い照明のなかに沈んでいて、おたがいに距離をとって座る人々が、踊り手が扉の外に出てくるのを待機していた。開けっぱなしの扉をのぞきこむことのできる最前列に座らないと、踊り手の姿は見えないので、ほとんどの人は、奥の部屋の気配を感じとるだけの状態に置かれる。踊り手はとてもゆっくりと動きを運んでいくため、しばらくしてしびれを切らした男性がひとり大きな音をさせて前列に移動すると、それをきっかけに多くの人が座席を移して横一直線にならび、そこまで方向を定めずに滞留していた中央の部屋の空気は、人々の視線がひとつにまとまることで一気に澄んだものへと変化した。驚異的なこの視線の力は、踊り手の身体を見たいという人々の集合的な欲望そのものだった。

 

 奥の小部屋とは反対側にある、表玄関に通じる喫茶室では、環境を支配してしまわないように配慮されたかすかな響きがスピーカーから流れている。奥の小部屋から中央の部屋に出てきた踊り手は、縦格子のはまった薄暗い空間でうごめく様子。部屋の最後尾にならんだ足高の椅子に腰かけた私は、喫茶室側の扉から射しこむ玄関の強い光にさまたげられ、踊り手の動きは影のなかを動く影のよう。小さすぎてなにが鳴っているのかよくわからない音とおなじように、出来事の仔細をつかむことができなかった。ただ、踊りが人々のすぐ眼前に接近する形でおこなわれていることだけは了解することができた。

 

 スピーカーから漏れてくるように流れる音、茶会記の外から響いてくる建て替え工事中のハンマーの響き、自然光にかき消されてしまう実用性を剥ぎ取られた照明の光、そして踊り手の身体を求める人々の視線、これらを受けとめ流れを生み出していく喜多尾の身体事は、すべてこうしたあわいに発生する気配のようなものを「そこふく風」として引き受け、同時に、踊るみずからの身体そのものを「そこふく風」にしていく行為なのではないかと思う。一口に「環境」といってしまうとき、無意識に私たちの身体の外に設定されてしまうものを、「そこふく風」という言葉は、内外の別なく吹き抜けていくひとつの身体として提示しようとしているのかもしれない。

 

 私よりもなお遅れて会場に到着し後方の椅子にすわるふたりの女性、最前列の椅子に接近する踊り手を見て、飛び立つように椅子席の背後に移動する女性、奥の小部屋から出て立ち見する男性などがいるなか、中央の部屋は、椅子がほぼ全面を占めて通路のない状態だった。観客席に接近した踊り手は、椅子と椅子の間に身体をすべりこませ、座る人の身体に触れながら回転するようにして椅子をやり過ごし、座席のうしろへと出てきた。私の目の前をおおうようにして背中向きで立つと、私の膝小僧に背中で触れてから喫茶室に滑り出していく。踊り手の動線を知る「そこふく風」常連の人が、踊りを追って扉口に向かった。

 

 喫茶室に出た踊り手はスピーカーを背にしてひとしきり踊ってから、ゆっくりと玄関から外に出ていく。気のせいか、今年は玄関のすぐ外に立つ時間が例年より長いように感じた。茶会記のある路地に建っていた古いアパートが新築中で、この日は大工が2人ばかり現場を出入りしていた。例年であれば、路地を飛び石づたいに歩きつくす踊り手は、ピンク色のコンクリートが打たれ、強い初夏の日ざしに電線の影が色濃く落ちる茶会記前の空間に立ち、その中央にあいた排水溝のあたりで舞ってから広場の端に腰をおろした。茶会記の2階で営業する店舗に出勤する店員がひとり、地面にすわる喜多尾の傍らを通過していった。最終場面は、半円形になってしゃがんだり立ったりする観客に囲まれて踊るような格好となり、視線に喜びを与えるダンサーとの距離が確保されたためか、面白いことに、茶会記のなかよりずっとステージらしさが出たなかで終演を迎えた。もしかするとこれは、もともと終わりのない身体事に、その場かぎりの区切りをもたらす演劇的な約束事ということなのかもしれない。■

 

(2017年5月26日 記)

北里義之・誰のものでもない感覚、誰のものでもない身体──喜多尾浩代「そこふく風」─番外編─ 公演日:2016年12月2日(金)


 過去におこなわれた「そこふく風」シリーズの夜公演は、美術家のみわはるき、チェリストの入間川正美、おなじくチェリストの森重靖宗との共演で、その場かぎりの即興セッションに終わらない感覚の共振をめざしておこなわれてきた。かたや、午前9時という異例の時間帯を選び、茶会記の窓や扉を開け放しておこなわれる「そこふく風〜特別編〜」では、空間を外へと開くことに重点が置かれ、自由に動きまわれるようにと人数制限された観客と踊り手は、路地にもさまよい出て、場所を吹きわたる「風」を感じるような時間を共有してきた。閑静な住宅街に囲まれた路地の奥で営業する茶会記は、古びた家具調度で室内装飾したり、玄関に「音の隠れ家」のプレートを掲げたりと、人や時間がふきだまっていくような場所作りをコンセプトにしていて、「そこふく風」の「特別編」は、そうした場所のありように正確に対応したプログラムだったといえるだろう。以上をふまえた今回の「番外編」は、空間を開放しない夜公演であり、演奏家との対話もない純粋なソロ公演だった。観客の反応を考えあわせると、この晩の公演は、私たちの身体に起こることにフォーカスするものだったように思われる。

 喜多尾浩代が「身体事(しんたいごと)」という呼び方であらわしている身体へのアプローチにあって、それはそもそものはじめからそうであったというべきだろうが、空間を開放したり、共演者を招いたりしないことで、今回それがより際立つことになった。ダンスをもっぱら踊り手の身体に起こる出来事として、「鑑賞」の対象にしようとするとわからなくなってしまうのだが、本公演を昨今頻繁におこなわれるようになった観客参加型のダンス公演とならべてみると理解しやすくなる。説明がややこしくならざるをえないのだが、喜多尾の身体事とは、身体の感覚をつねに複数形にしておこうとするものであり、あなたと私の間に吹きわたる風のようなもの、風のように所有できないもの、姿も形もないとらえがたいものでありながら、その存在が確実に感じられるものをなかだちにして身体が行為することといえる。端的にいうなら、踊っているのはダンサーであり観客なのだ。しかしながら、受け身の身体のまま観客席に座っている人々の感覚を、内側から励起することは至難の技であり、すべての観客参加型公演が取り組んでいるテーマといっていい。場読みのできないセンスのない観客もいれば、その逆に、場を読みすぎて役割を演技してしまう観客もいる。番外編に集まった観客は、後者の傾向が強かったといえるだろう。

 「そこふく風」の初回からそうだったように、今回もまた、半開きになった楽屋口からは、電球照明に薄ぼんやりと照らし出される控え室が見えていた。かたや、ステージの四隅を照らす明かりはいずれも部分照明で、観客の一方通行の視覚を分散させ、対象を曖昧にぼんやりとさせる。開演時間を過ぎてもしばらく動きはなく、しびれを切らした観客が首を伸ばして楽屋口の奥をうかがいはじめたあたりで、黒いドレスをまとった喜多尾が部屋のなかを横切る影が見え、扉口に姿をあらわした。身体はふたつの部屋の境界領域を越えてやってくる。音楽はない。上下動は使うものの、踊りを生み出すために喜多尾が壁や床に触れることはなく、いわば空気のなかに隙間をさがすようにして動きが生まれてくる。この晩は最前列に並ぶ観客への接近と遠ざかりがくりかえされただけでなく、客席のなかにはいりこんで動く場面も作られた。喜多尾が観客に触れることはないが、たまらずに席を後方に移動する観客がいた。おそらくそれは見るために必要な距離を確保するためだったろう。

 いったんステージに戻った喜多尾は、今度は喫茶室に通じる扉まで客席の通路を後ずさりしていくと、身体の左側を扉につけながらノブを握り、内側にゆっくりと扉を開いていった。隣の喫茶室から流れこんでくる音楽と人の声。扉に身を寄せてしばらくじっとしていた喜多尾はゆっくりとステージに戻り、そこでもすこし時間をとってから終わりの挨拶をした。扉を開けたことを「解散」の合図と受け取った最前列の観客が、挨拶を待たずに手荷物を抱えて席を去りつつ、ステージのなりゆきを見ていた。この晩起こったことは、環境の手助けがないなかで、踊り手からなにかがやってくることを感じつつも、それが誰にも所属しない感覚(そこふく風)を起こす方向には向かわず、踊り手の動きの解釈に横すべりしていくという出来事だったように思われる。触れることで自他の境界は簡単に解消するが、観客に触れるほど近くに接近はしても、けっしてそうすることのない喜多尾の身体事では、観客の視覚による謎解きの欲求を消すことはできないようだった。おそらく観客は、この両極を行ったり来たりすることになるのだろう。■

(2016年12月7日 記)
北里義之・澄んだ目のダンサー──山本晴歌「わたしは、わたしのほねになる」 公演日:2016年12月4日(日)


 大川原脩平とのユニット「ぞうとまめ」の公演が、共演者の急病で中止のやむなきにいたったため、スケジュールを穴埋めする形で、ダンサー山本晴歌にとって初のソロ公演『わたしは、わたしのほねになる』が実現することになった。ダンスの内容は山本がオリジナルに構想し、シーツや椅子など、どこにでもある簡単な小道具を使いながら、踊ることが同時に自分の身体の声に耳をすますことでもあるようなダンスが即興的に踊られた。観客席の椅子は、部屋の中央を広く開けて壁際に置かれ、いつもならホリゾントになる奥の壁の中央には、両脇を一列の椅子がはさむ形で縦長の姿見が立てかけられた。扉口から漏れ聞こえてくる喫茶室のにぎわいをよそに、開場時から部屋の中央に立ったダンサーは、床に広げられた白いシーツの前にたたずんでいた。背後には木製のアームチェアが置かれ、部屋の隅に置かれたアップライトピアノには赤い花束が載っていた。音楽に使われた大谷能生のエレクトロニクス演奏は、山本が参加して6年になるという大橋可也&ダンサーズの作品がもっている前衛的な雰囲気にダンスを近づけていた。

 大橋可也&ダンサーズの公演は何度か見る機会があり、つい先頃、長谷敏司の書き下ろしSF小説をもとにした『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』(2016年10月/11月、木場アースプラス・ギャラリー)でも、「Layer 1」でヒューマノイドロボットと踊る山本を見たばかりである。アヴァンギャルドの美学を徹底しながら、舞踏の方法論をベースにクリエーションする大橋作品では、ダンスもふくめ、伝統的な身体観を脅かすような現代の身体状況があぶりだされてくるのだが、舞踏的な質感が強調されはしても、ダンサーの身体は均質化される傾向にあるところから、自分の身体以外に頼るもののないソロ公演は、身体の固有性もダンスを通じた発見の積み重ねの果てにあるという意味で重要だと思う。

 タイトルにあるように、(肉よりも)骨へのアプローチを試みる山本のダンスは、ときに足先をとんでもない方向に曲げたり、前腕で体重を支えながら軽業師のように倒立したりと、アクロバティックな負荷を身体にかけながら、新体操と舞踏の間にあるような、あるいは機械と物質の間にあるような独特な身体感覚を踊って、大きな魅力を放った。機械状エロスとでもいったらいいだろうか、この質感が「Layer 1」に求められたものだったのだろう。シーツにうつぶせになって片足を高くあげたり、シーツを巻きこみながら激しく横転したりと、くりかえしシーツに回帰してダンスにリズムを与えると同時に、アームチェアを使う場面では、顔を部分的におおう白い面をかぶり、椅子に乗ったり床にくずおれたりして、そこだけ演劇的なアプローチをみせた。クライマックスでは彼女のトレードマークである倒立が登場、転倒をくりかえし、何度となく身体を床にたたきつけたすえに立つまでが踊られた。特に印象的だったのはその目である。ダンサーにとっての顔は、ことさらに扱いがむずかしい要素で、顔に布を巻くなど、まるでそれがはじめからないかのようにして踊るダンサーもいるくらいだが、ダンスする山本晴歌の目はまっすぐで、無防備なほど澄んでおり、その目から放たれるエネルギーにさらされるのが心地よいほどだった。■

(2016年12月7日 記)
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